大阪市内から家族で移住
中島憲明さん(仮名)36歳 リモートワーク
妻32歳 長女4歳 次女2歳
会社のリモート化を機に淡路島へ移住
以前から移住に興味を持っていました。もともと都会育ちの私は、
そして妻と結婚し長女を授かりました。仕事に育児と追われる中、
妻とは「次のキャンプは3年後やな(笑)」と話していました。
もちろんキャンプには行けませんが最高に幸せな人生でした!
そんななかテレビで淡路島特集をやっているのを見て、妻が急に「
大阪市内から車で約一時間、
目の前に広がる青い海、どこまでも続く空、青々とした山々。
早速、淡路島の名物のシラス丼を、【道の駅あわじ】
つづいて子供たちの為に国営明石海峡公園を散歩。
子供が遊べる施設も充実していて、帰るころには2人の娘も車でぐ
すっかり日も暮れて、大阪への帰路、
同じことを考えていた私も「そうやな~」と、
しかし、
すると淡路市、洲本市、南あわじ市の3市それぞれに独自の補助金
何より一番驚いたのは淡路島では待機児童がゼロということでした
淡路島には意外と多くの求人があることも知っていました。
会社のリモート化で移住を決意
「やっぱり今すぐ移住は無理か…」と思っていた時、
この1年以内に大阪市内のオフィスを縮小化し在宅勤務をメインに
最初のうちは週2.3回の出勤で次第に月一回程度、
これは淡路島に移住を考えていた私たち家族には朗報でした。
会社としてはたとえ今後コロナ禍が収まったとしてもリモート化の
淡路島だと万一オフィスに出勤するとなっても車で1時間30分、
移住で一番大切なのは住居選びと環境
諸々の条件をクリアした私たちは「よし移住しよう!」
するといろいろなサイトが出てきました。
淡路島の移住を斡旋しているNPOさんや、企業、
その理由は、一番心配していた住居選びに関して、
お家選びの際も、その物件のいいところ、
書面にまでしていただき、とても信頼できました。
憧れだった海の見える家
いま私たちは保育所からも近く、買い物にも便利な、
週末は自宅の庭で、大阪から遊びに来た友人とBBQをしたり、
近隣の方はとても親切で、
この恵まれた環境の中で、子育てができ、
これから移住される方へは、一番大切なのは住む場所と地域です。
大阪府内から家族で移住
西川智也さん(仮名)34歳
イタリアンレストランオーナー
妻30歳 長女5歳
私が淡路島で伊レストランのオーナーになるまで
調理師の専門学校を出て、20代のころから大阪の北新地で、
そんな私が淡路島に移住してイタリアンレストランを開店させるに
日ごろから勉強のために旅先のレストランや小料理屋によく行くの
その時気が付いたのは、
そのときに数年前に1年ほど修行で訪れたイタリアを思い出しまし
この食材の良さは本場イタリアにも引けをとらない、
そして何より淡路島の雰囲気もとても気に入ってしまい。
しかしなかなか妻には言えずにいました。「
あきらめきれない淡路島でのレストラン開業の夢
なかなか夢を捨てきれない私はネットでバリュークリエーシ
まだなんの決意もできていない私に、担当の幸田さんは「
私はまず淡路島で店を開業するのに、
すると幸田さんは「まず初めにイメージしてください」「
「そしてそれが自分やご家族にとって本当に幸せなことなのか?」
「そうはっきり思えたら奥さんを必ず説得できます。」「
私はこれまでも散々想像してきましたが、
旅行の時に出会った淡路島の親切な人々、大自然、環境。「
でもだからこそなんでもあるし、なんでも出来る!」「
それからは全ての不安要素が次々に解決していきました。
古民家を利用した店舗付き住居
先ず店を出す地域、これに関しても【バリュークリエーション】
次に物件選び、
「古民家選びはとても重要で、
そしてリノベーションに関しては日本家屋を活かしつつイタリアン
この要望にも大阪と淡路島に拠点を持つリフォーム業者さんを紹介
そして最も重要な食材の仕入れ先も地元コーディネーターさんが農
想像以上のきめ細かい手厚いサポートで安心して移住ができた
その頃には妻も移住に関して、賛成してくれ「
そこで幸田さんに淡路島の子育て支援について聞くと、
都会から田舎へ移住するというのは簡単なことではないと思います
しかしサポートしてくれる人たちがいると事情は変わっていきます
自分が思い描いた夢を実現するために多くの人たちが、
昨今のコロナ禍ではありますが、
淡路島で飲食店を開業したいとお考えの方へ
淡路島は食材も豊富で都会に比べると値段も安いです。
そんなにいっぱいお店があると競争率も激しいと思うかもしれませ
それなりの工夫と努力が必要ですが、
これさえあれば、淡路島で食いっぱくれることはない(笑)
私も本当にそう思います。
「何故ライバルを増やす?」と思われるかもしれませんが、
淡路島の多くのお店はみなさんそう考えています。
大阪府内から移住
安井隆さん(仮名)29歳 建設業 独身
淡路島で自分探し
僕が淡路島へ移住を決めたきっかけは実家の稼業が倒産したからで
高校を卒業しそのまま実家の工場を手伝っていましたが、
もともと自由人だった僕は家業を手伝いながらもお金がたまると国
しかし実家の倒産は流石に焦りました…しかも当時僕は27歳。
就職といってもなにがやりたいかわからないし…
やりたい仕事がないなら、
前から数回訪れて、
行けば何とかなると思っていましたが、物件探しもうまくいかず、
とりあえず大阪に戻りました。
淡路島では人と人のつながりが大切
そして次回はちゃんと計画を練ろうと決め、
色々話を聞いていると淡路島には賃貸物件も仕事も実はたくさんあ
そこでまず担当の幸田さんが進めてくれたのは淡路島内にある 【お試し移住体験】の施設でした。
一泊2,000円程度で泊まれる物件から、1,500円程度のシ
そして仕事に関しても数件紹介していただき、
一つ一つの出会いがとても大切に…
会社の社長や上司、先輩はみんな何というか、
現在、住居はバリュークリエーションさんに紹介していただいた、
出会いは確かに都会と比べると少ないです。
週末になれば、大阪の友達もよく泊まりに来ます。
うちの会社もそうですが、
大阪からの週末移住でおすすめは絶対淡路島!
まだ永住は考えていません。
まだまだ自分を探しているというか…
都会までのちょうどいい距離、
淡路島で独身や単身で移住される方にお勧めの地域はやはり洲本市
南あわじ市もおすすめですが、
ですが、最近の淡路島の発展はすごくて、
週末移住でお勧めなのは淡路市ですね。大阪から早くて1時間少し
淡路島で働きたい方へ。
意外と仕事や求人もたくさんあります。
淡路島の地元にコネがあり、
大阪府内から移住
太田将さん41歳【農業】
(妻)慶子さん36歳【介護】
長男8歳 長女5歳
息子のいじめがきっかけ、
大阪では町工場の責任者をしていました。
旋盤加工といって金属を削って加工していく工場です。
自分はこのままこの工場で定年を迎えるものだと思っていました。
しかし僕の心にずっとくすぶり続けている一つの思いがありました
それは自然豊かな淡路島で家族がのびのび生活するという夢でした
妻は「田舎暮らしはちょっと…」と言っていましたが、
小学校入学当時は友達もでき、元気に明るく登校していました。
訳を聞いても言わず。
そんな折、淡路島で農業を営む友人の斎藤くんから連絡があり、
妻が娘と斎藤くんの次男のお守をしている間、私と息子、
子供たち同士でなにやら楽しそうに話しながら、
すると友人はあっけらかんと「太田君、
私は今すぐにでも移住したいと思いました。その日の夜、
すると友人の奥さんが諭すように妻に話してくれました。
「いじめや不登校はどこの地域にもあるかもしれない。
「それに慶子ちゃんは介護士でしょ、
この話を聞いて妻の心も決まったようでした。
妻が長男と次女に「ここで暮らしたい?」
その時のことは一生忘れません。私と妻はもちろん、
それから大阪へ戻った私たちは、
「やっぱり大切なのは物件選びか~」
地方移住の失敗例で一番多いのは、住居となる物件選びでした。
そこで私たちが注目したのはバリュークリエーションさんの【IJ
理由はいくつかあるのですが、
また希望すれば提携しているリフォーム業者さんが内見に同行し無
「これなら安心!(笑)」と思えました。
実際にバリュークリエーションさんに紹介いただいた古民家を担当
リフォーム業者さんは見たこともないような道具をいっぱいだし何
結果「現状、今すぐなにかするべきことはない」
私たちはせっかく来てくれたのに修繕するところがないのは申し訳
いざ契約というタイミングでも、
また物件以外の妻の働き先や、息子の転校手続き、
これらすべてを自分たちでやるとかなり大変な労力と時間がかかる
もちろんできないことはないでしょうし、
しかし特に住居選びは素人では判断できない部分が多く、
夢と希望に満ちた淡路島の移住生活を安心して送るためにも、
私は最近では農作業も少しずつ慣れてきて、
もともと明るかった息子は、毎日のように友達を連れてきては、
田舎に移住して農業をやりたい方は淡路島が最適だと思います。
淡路島は玉ねぎが有名ですが、
そして、それぞれに応じた農業支援制度やシェア農業、
『淡路島では餓死できない』(笑)という都市伝説があるぐらい食
最近では20代、30代、40代の若い農家さんが増えいろいろな
苦労や楽しいことを共有したり一緒に喜びあえる仲間がきっとでき
大阪府内から淡路島へ週末移住
中山慎吾さん42歳【自営業】
(妻)綾さん37歳【CAFÉ経営】
長男6歳 長女4歳
大阪と淡路島の週末移住2拠点生活デュアルライフ
大阪で広告関係の会社を経営しています。
開業6年目で社員は8名、苦労もありましたが、
そんなある日、妻が相談があると言い出しました。
しかし実際に妻が言った言葉は想像をはるかに上回る内容でした。
「長男が小学校に入学する前に、淡路島に移住してCAFÉを開業
私はとっさに「は?なんで淡路島?」と聞き返すのがやっとでした
淡路島には過去に旅行で行っていました。
確かに淡路島は私たち夫婦にとって特別な場所ではありました。
私たちは、いわゆるデキ婚で長男が妊娠してすぐに籍を入れ、
私は会社、妻は子育てで日々追われ、
妻は昔からカフェめぐりが大好きで、
そして妻好みのとてもオシャレなカフェに入ったとき、
そんな思い出が淡路島にはあります。
しかし私の会社も軌道に乗り始めた頃で今から家族で淡路島に移住
しかし妻がここ数年、
独身時代に妻がよく「いつか自分のカフェをオープンしたい」
妻が子供たちを見てくれているおかげで私は自分の会社、
私が「え、何それ?」
簡単に話せば、私たちは大阪で賃貸マンションに住んでいました。
「私は言葉を失いました」(笑)
しかしよくよく考えると、私が仕事から帰宅する時間帯は、早くて
しかし妻の夢も大事!私の葛藤は続きました。
その日妻は「無理に決めなくてもいい、でも少し考えてほしい」
それから3日間はほとんどまともに寝れなかったです(笑)
しかし私は決めました。妻の言う【淡路島週末移住】
結婚してからの私の人生は完璧でした!
それから妻の淡路島でのカフェ開業計画が始動しました。
「まずは物件選びやろ」と私が言うと「
本当に妻の行動力には驚かされます(笑)
淡路島移住の思いが芽生えた頃に、
子供たちが目を離せないので自宅からズームのやり取りで何件か物
そして次の休みの日に実際に現地へ内見に行くとのことで私も子供
妻の物件選びの条件は子供たちの学校や保育所から近く買い物も便
同じ淡路島でも移住する方それぞれにおすすめの地域があるようで
物件自体もカフェ仕様に改装するためリフォーム業者さんも同行し
3件ほど物件を見終えた後、淡路島のNPO法人さんを紹介してい
しかし私たち夫婦には一つ大きな心配がありました。
物件の購入にあたり銀行から融資を受けるのですが、
しかしその点もバリュークリエーションの担当者さんが地元の銀行
そして無事に売買契約、お店のデザインやパンフレット、WEBサ
いよいよ妻の夢が始まると思うと私までドキドキしてきました。
それと同時に私の週末移住生活も始まるのですが、
大阪府内から移住
利川隆さん53歳【農業】
(妻)聡子さん51歳
早期退職をして淡路島で農業
主人が会社を早期退職し淡路島で農業をしたい、
昔からよく、
もともと農家出身の私は農業の厳しさや大変さをよく知っていたの
そんな夫が夜な夜なインターネットでこっそり農業について調べて
夫は仕事一筋で私と2人の息子を養ってくれました。
これといって趣味もありませんでしたが、
そんな家族思いで子煩悩な夫が初めて自分の思いを主張したのが「
2人の息子はそれぞれ独立し神戸と大阪に住んでいます。
淡路島では古い風習にこだわらず、
しかし農業など全くやったことのない夫が本当にできるのか不安で
しかも移住するにはもう一つ大きな壁がありました。
それは今住んでいる家の住宅ローンがまだ残っているということで
残債があるのに家を売却できるのだろうか?
また売却できたとしても価格は?
そこで私たちは慣れないネット検索を駆使していろいろ調べました
すると住宅ローンの残債を銀行や保証会社などの債権者と協議をし
大阪のサロン・ド管財という会社でした。任意売却に30年以上の
しかもその不動産業者さんは大阪から淡路島への移住を専門に取り
私たちの為にあるような会社だ(笑)と思い、
担当の幸田さんは私たちの話を聞き終えると「
すると土地の値段も考慮すると、
今までの貯金と夫の退職金、
後日、
古民家はそのままで住めるような物件はほとんどなくDIYも素人
金額的にも予算の範囲内でしたが、幸田さんのほうから「
と言われたので、その場で申し込みは行いませんでした。
その後、物件の近くに住む農家さんを紹介してくださいました。
幸田さんは前もってこの日の為に、地元のNPO法人さんに相談し
私たちはここぞとばかりに農家さんに質問をしまくりました(笑)
やはり農業はそんなに甘くない、
農家さんと意気投合した私たちはなんと晩御飯までご馳走になって
大阪に戻り本格的な移住までのスケジュールを練りました。
自宅の売却はサロン・ド管財さんにお任せしているので、
その間にも何度も淡路島に足を運び、
するとどんどん農家さんのお友達を紹介してくださり。
なかには私たちのように都会から移住して農業をしている先輩家族
そして無事に大阪の自宅の売却と夫の退社が済み、
お正月やお盆には2人の息子も友人や彼女と帰省?(笑)し「
その後も農業の先輩方に指導を受けながら、
最近では農業のシェア化という考え方も出来てきて、
私たちも今後は淡路島のため地元の人々の為、